震災から学ぶ

東日本震災から10年。
と、一言で10年というのは重い言葉です。
毎日が積み重なっての10年ですから、あの日の事は夢だったのかな...と思うくらい非日常すぎて、映画のワンシーンを見ているようでした。
10年前は、会社に勤めて6階のビルの部屋におりました。
グラッと揺れ、それが長く続き経験した事のない大きな長い揺れでした。
とっさに、ロッカーから離れて‼️と声をかけてくれたスタッフにより、わたしはものが倒れても当たらない場所に移動することができました。
揺れが落ち着いた時、避難場所に移動しましたが、寒い日で膝掛けを手にもっていたので薄着のスタッフに貸した覚えがあります。
避難場所で携帯テレビを見た光景は鮮明に覚えていますが、信じられませんでした。
家が....車が...ぷかぷかと流れているのです!
何これ‼️と、東北で起きていることが現実だと思うことができませんでした。

この先どうなってしまうのか...と、埼玉にいる私でさえ不安でしかなかったのですから、震災に直面した方にとっては命が繋がった安心と、大切なひとを失った寂しさ悔しさが一気に押し寄せたと思います。

人と人の助け合い、支え合いがなければあの時は不安でしか無かったと思います。

わたしも、ロッカーの近くにいたままで声をかけられなかったら、ロッカーが倒れてきた時は逃げ遅れたかもしれません。
近くで声を掛け合う人の存在は生きていく中で欠かせないものだと思います。

私は、家族グループラインがあり、母親、兄家族、娘家族でグループになっており、地震があると皆の安否を確認します。
誰かが心配してくれる安心感がほしいです。
誰かに気づいてもらえなければ、助かる命も助からなくなってしまいます。

そばにいてくれる、支え合えるパートナーを探しましょう!

思いやり

今日は義母の誕生日。
コロナ禍でもあるので、自宅で焼肉パーティー!
一つ屋根の下に住んでいても、時間帯が合わなかったり、食事も別なのでなかなか会うこともないのです。
なので、会ったときはよくしゃべります。
このように家族が笑顔でおしゃべりできるようになったのも、私がこの仕事を始めるようになってからかもしれません。
会社員の時は忙しくしており、ほぼ会うこともなくおしゃべりの時間を持つことがなかったと思います。
会社を辞め、この仕事をするようになってから、義母がよく話、相談なんかもするようになってきました。
お互いに年を取ったのだと思います。
他人だった人が家族として一つ屋根の下に住み、旦那だけではなく義母も一緒なんて最初は考えられないかもしれませんが、年を重ねることで話をせずとも同じ家にいることが安心感になることもあります。
自然災害がいつやってくるかわからない今だから、余計に支え合いの大切さを感じます。
今日はよくしゃべりました。
こんなおしゃべりがとても幸せな時間なのだと思います。
これから結婚をする方は、お相手の両親と同居ということはあまりないかもしれませんが、いずれ年を取ることで、支え合うときがきます。
お相手の方が自分の両親を大事にしてくれることも結婚の条件になるかもしれません。
思いやりのある家族づくりのお手伝いを是非させてください!